角館總鎭守神明社

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古事記現代語訳(上つ巻)


天地のはじめ

天地(アメツチ)が初めて現れ動き始めた時に高天原(タカマノハラ)に成った神の名は、
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、
次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)、この三柱の神は、みな独り神として、 姿は見えません。

次に地上世界が若く、水に浮かんでいる脂のようで、
くらげのようにふわふわと漂っていた時、
葦が芽を吹くように、きざし伸びるものによって成った神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)、
次に、天之常立神(アメノトコタチノカミ)。
この二柱の神もまた独り神で姿は見えません。

以上の五柱の神は別天津神(コトアマツカミ)といいます。

次に成った神の名は、国之常立神(クニノトコタチノカミ)、
次に豊雲野神(トヨクモノノカミ)。
この二柱の神もまた、独り神で姿は見えません。


島々の生成

次に成った神の名は、宇比地邇神(ウヒジニノカミ)。次に、妹須比智邇神(スヒチニノカミ)。
次に、角杙神(ツノグイノカミ)。次に妹活杙神(イクグイノカミ)。
次に、意富斗能地神(オオトノジノカミ)。次に、妹大斗乃弁神(オオトノベノカミ)。
次に於母陀流神(オモダルノカミ)。次に、妹阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)。
次に伊耶那岐神(イザナキノカミ)。次に、妹伊耶那美神(イザナミノカミ)。

以上の、国之常立神から伊耶那美神までの神々を総称して神世七代(カムヨナナヨ)といいます。

*****

天津神達は、伊耶那岐命と伊耶那美命に「この漂っている国土を有るべき姿に整え固めなさい。」と命じ、天の沼矛(アメノヌボコ)をお授けになりました。

そこで二神は天の浮橋の上にお立ちになって、その沼矛で国土を掻きまわし、
沼矛を引き上げると、沼矛の先から滴る潮(塩)が積もって島になりました。
これを淤能碁呂島(オノコロシマ)といいます。

伊耶那岐命・伊耶那美命が淤能碁呂島に降りてみると、その島には天の御柱と八尋殿(ヤヒロドノ)がありました。  

イザナキ:「貴女の身体はどのようにできているのですか。」
イザナミ:「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」
イザナキ:「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。
だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所を挿し塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょう?」
イザナミ:「ええ,結構ですわ。」
イザナキ:「それならば、私と貴女でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、 寝所で交わりをしましょう。貴女は右からまわって下さい。 私は左からまわりましょう。」

そして、二神がその方法に同意して柱をめぐり出会った時に、まず伊耶那美命が声をかけました。

イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」
イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」
イザナキ:[……女性が先に言うのは良くなかったのでは?」

とは言うものの、二神はそのまま交わって子を生みましたが、生まれた子は水蛭子(ヒルコ)と淡島(アワシマ)でした。

二神は困ってしまって天津神に相談しますと、天津神は
「女性が先に言葉を言ったのがよくなかったのだ。もう一回やりなおしなさい。」と指示しました。
そこで、再び二神は天の御柱をめぐり出会いをやりなおし、今度は先に伊耶那岐命が声をかけたのです。

イザナキ:「あぁ、きみはなんて素敵なひとなんだ!」
イザナミ:「まぁ、あなたはなんて素敵な方なの!」

こう言い終わって交わると次々に子が生まれました。

淡道之穂之狭別島アワジノホノサワケノシマ(淡路島)、
次に 伊予之二名島イヨノフタナノシマ(四国)は身一つに4つの顔があり、それぞれ愛比売エヒメ(愛媛県)、飯依比古イイヨリヒコ(香川県)、大宜都比売オオゲツヒメ(徳島県)、建依別タケヨリワケ(高知県)といいます。
次に三つ子の隠伎之三子島オキノミツゴノシマ(隠岐島)(またの名を天之忍許呂別アメノオシコロワケ)といいます。
次に筑紫島ツクシノシマ(九州)も身一つに顔が4つあり、白日別シロヒワケ(福岡県)、豊日別トヨヒワケ(大分県)、建日向日豊久士比泥別タケヒムカヒトヨクジヒネワケ(長崎県・熊本県・佐賀県・宮崎県)、建日別タケヒワケ(熊本県・鹿児島県)といいます。
次に伊岐島イキノシマ(壱岐島)を生み、またの名を天比登都柱アマヒトツハシラといいます。
次に津島ツシマ(対馬)、またの名を天之狭手依比売アメノサデヨリヒメ。
次に佐渡島サドノシマ(佐渡島)
次に大倭豊秋津島オオヤマトトヨアキヅシマ(本州)、またの名を天御虚空豊秋津根別アメノミソラトヨアキヅネワケといいます。

この八つの島がまず生まれたので、大八島国(オオヤシマノクニ)といいます。

それから御帰りになった時に、
吉備児島キビノコシマ(岡山県児島半島)=建日方別タケヒカタワケ、
次に小豆島アズキシマ(香川県小豆島)=大野手比売オオノテヒメ
次に大島オオシマ(山口県屋代島)=大多麻流別オオタマルワケ
次に女島オミナシマ(大分県国東半島沖の姫島)=天一根アマヒトツネ
次に知訶島チカノシマ(長崎県五島列島)=天之忍男アメノオシオ
次に両児島フタゴノシマ(五島列島南の男島・女島?)=天両屋アメノフタヤ

吉備児島から両児島まで合わせて六島です。


神々の生成

さてそこで、イザナキ命が言うには、「愛しい妻の命を、たった一人の子に代えようとは思わなかった」と言って、枕もとに這い臥し、足元に這い臥して泣き悲しんだ時に、その涙から生まれた神は、香山の麓の木の本(このもと)に鎮座している、名は泣沢女(ナキサワメ)神です。
そして、亡くなったイザナミ神は、出雲国と伯伎国(ははきのくに)の境の比婆の山(ひばのやま)に葬られました。

そこでイザナキ命は、腰につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子カグツチ神の首を斬りました。
すると、その剣先についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、石拆(イハサク)の神、次に根拆(ネサク)の神、次に石筒の男(イハツツノヲ)の神です。

次に剣の根元についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、甕速日(ミカハヤヒ)の神、次に桶速日(ヒハヤヒ)の神、次に建御雷の男(タケミカヅチノヲ)神、またの名は建布都(タケフツ)の神、またの名は豊布都(トヨフツ)の神です。
次に剣の柄にたまった血が、指の間から漏れ流れて生まれた神の名は、闇淤加美(クラオカミ)の神、次に闇御津波(クラミツハ)の神である。
以上のイハサク神よりクラミツハ神までの合わせて八神は、剣によって生まれた神です。

そして殺されたカグツチ神の頭から生まれた神の名は、マサカヤマツミ神である。
次に胸から生まれた神の名は、オドヤマツミ神である。
次に腹から生まれた神の名は、オクヤマツミ神である。
次に陰部から生まれた神の名は、クラヤマツミ神である。
次に左手から生まれた神の名は、シギヤマツミ神である。
次に右手から生まれた神の名は、ハヤマツミ神である。
次に左足から生まれた神の名は、ハラヤマツミ神である。
次に右足から生まれた神の名は、トヤマツミ神である。
マサカヤマツミ神よりトヤマツミ神まで合わせて八神。

そして、斬る時に用いた太刀の名は、天の尾羽張(アメノヲハバリ)と言い、またの名を伊津の尾羽張(イツノヲハバリ)と言います。


イザナギの命は亡くなってしまったイザナミの命に会いたいと思い、あとを追って黄泉国(よみのくに)を訪れました。

そこで女神が御殿の閉じた戸から出て迎えた時、イザナキ命が語って言うには、
「愛する我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終えていませんよ。だから還ってらっしゃい」と言ったのです。
しかしそこでイザナミ命が答えて言うには、

「残念なことです。もっと早く来てくださっていれば・・・。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でも、あたたがわざわざおいで下さったのだから、なんとかして還ろうと思いますので黄泉の神と相談してみましょう。その間は私の姿を見ないでくださいね」と言いました。

そう言って御殿の中に戻って行きましたが、なかなか出てきません。

イザナギの命は大変待ち遠しく待ちきれなくなってしまったので、左のみづらに刺してある清らかな櫛の太い歯を一本折り取り、それに一つ火を灯して入って見てみると、愛しい妻には蛆がたかって「ころろ」と鳴り、頭には大雷が居り、胸には火雷が居り、腹には黒雷が居り、陰部には析雷が居り、左手には若雷が居り、右手には土雷が居り、左足には鳴雷が居り、右足には伏雷が居り、合わせて八種の雷神が成り出でていたのです。

そこでイザナキ命がこれを見て畏れて逃げ帰ろうとすると、イザナミ命が、「よくも私に恥をかかせたな!」と言うと、すぐに黄泉の国の魔女である黄泉津醜女(よもつしこめ)を遣わして追いかけさせました。
そこでイザナキ命は、髪に付けていた黒いかづらの輪を取って投げ捨てると、そこから山葡萄の実が生りました。これを追手が拾って食べている間に、逃げ延びました。
しかし、また追いかけてきたので、今度は右のみづらに刺してある清らかな櫛の歯を折り取って投げ捨てると、そこから筍(たけのこ)が生えました。これを追手が抜いて食べている間に、逃げ延びた。

そして次には、女神の体中に生じていた八種の雷神に千五百の黄泉の軍勢が追いかけてきた。そこで身につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、後手に振り払いながら逃げました。
なお追いかけてきて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の下にやってきた時、その坂の下に生っていた桃の実を三つ取って投げつけると、追手はことごとく逃げ帰ったのです。
そこでイザナキ命が、その桃の実に言うには、
「お前が私を助けたように、葦原中国(あしはらなかつくに)の人々が苦しい目に会って悩んでいる時に助けなさい」と言い、名を与えて、意富加牟豆実(オホカムヅミ)の命と名付けました。

最後にその妹のイザナミ命自らが追いかけてきたので大きな千引の石(ちびきのいわ)をその黄泉比良坂に塞ぎおました。そしてその石を挟んで二神が向き合って立ち、離別の時、イザナミ命が言うには、
「愛しい私の夫がそのようなことをするのならば、あなたの国の人々を、一日に千人絞め殺しましょう」と言いました。
そこでイザナキ命が言うには、「愛しい私の妻がそのようなことをするのならば、私は一日に千五百の産屋を建ててみせるぞ」とおっしゃいました。

このようなわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が生まれるのです。

こうしてイザナミ命を名付けて、黄泉津(ヨモツ)大神と言います。

また言うには、男神に追いついたことから、道敷(チシキ)大神と名付けたと言う。
その黄泉の坂を塞いでいる大岩を、道反(チガヘシ)の大神と名付け、また、その入口を塞いでいる黄泉戸(ヨミド)の大神とも言います。そして、そのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)です。


身禊

イザナギの命は黄泉の国からお帰りになって、
「私はずいぶん醜く穢れた国に行ってきたのだ。早く身体のケガレを清めなければ」とおしゃって、筑紫日向の橘の小門(オド)の阿波岐原にお着きになると、身につけているものを次々と脱ぎました。

投げ捨てた杖から生まれた神の名は、衝立船戸神(ツキタツフナトノカミ)
投げ捨てた帯から生まれた神の名は、道之長乳歯神(ミチノナガシハノカミ)
投げ捨てた袋から生まれた神の名は、時量師神(トキハカラシノカミ)
投げ捨てた衣から生まれた神の名は、和豆良比能宇斯能神(ワズライノウシノカミ)
投げ捨てた褌から生まれた神の名は、道俣神(チマタノカミ)
投げ捨てた冠から生まれた神の名は、飽咋之宇斯能神(アキグイノウシノカミ)
投げ捨てた左手の手纏から生まれた神の名は、奥疎神(オキザカルノカミ)
奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)
奥津甲斐弁羅神(オキツカイベラノカミ)
投げ捨てた右手の手纏から生まれた神の名は、辺疎神(ヘザカルノカミ)
辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)
辺津甲斐弁羅神(ヘツカイベラノカミ)

この十二神はお体に付けていたものを投げ捨てられて現れた神です。

そこで「上流は流れが激しいし、下流は流れが弱い」と真ん中の瀬に下りて水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)と大禍津日神(オオマガツヒノカミ)とでした。
この二神は黄泉の国においでになったときの穢れによって現れた神です。

次にその禍を直そうとして生まれた神の名は、
神直毘神(カムナオビノカミ)と大直毘神(オオナオビノカミ)と伊豆能売(イズノメ)です。

次に水底で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト)
水中で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト)
水面で身をすすいだ時に生まれた神の名は、
上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と上箇之男命(ウエツツノオノミコト)
この三綿津見神は安曇氏の祖先神です。よって、安曇の連たちは、その綿津実見神の子宇津志日金拆(ウツシヒカガナサク)の命の子孫です。

また底箇之男命・中箇之男命・上箇之男命の三神は住吉神社の神様です。

そして左目を洗った時に現れた神の名は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)
右目を洗った時に生まれた神の名は、月読命(ツクヨミノミコト)
鼻を洗った時に生まれた神の名は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)でした。

以上十神は身体を洗ったので現れた神々です。

イザナギの命は大変喜んで、「私は沢山の神を生んだが、一番最後に貴い三柱の御子を得た」と言い、首にかけていたの首飾りの玉の緒(御倉板挙之神)をゆらゆらと揺るがして天照大御神に下賜し、「天照大御神よ、あなたは高天原を治めなさい。」といいました。
次に月読命に「あなたは夜之食国を治めなさい。」といい、建速須佐之男命には、「あなたは海原を治めなさい。」といいました。
そうしてそれぞれ委任された言葉に従って治めていた中で、タケハヤスサノヲ命だけは命じられた国を治めず、長い顎鬚が胸元に届くようになるまでの間、泣き喚いておりました。
その泣く様子は、青山が枯山になるまで泣き枯らし、海や河がその泣く勢いで涸れてしまうほどでした。
そのため、乱暴な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがことごとく起こりました。

そこでイザナギの命がタケハヤスサノヲの命に言うには、
「どうしてお前は命ぜられた国を治めずに泣き喚いているのか?」と尋ねました。
カケハヤスサノヲ命は「私は亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参りたいと思って、泣いているのです」と申し上げたのです。
そこでイザナキの命は大変怒り、「ならばお前はこの国に住んではならない」と言って、追い払ってしまいました。
このイザナギ命は、淡海(あふみ)の多賀の社にお鎮まりです。


誓約(うけひ)

そこでハヤスサノヲ命が言うには、「ならばアマテラス大御神に申し上げてから黄泉の国に参ろう」と言って天に上ろうとする時、山や川がことごとく動き、国土が全て震動しました。
そこで、アマテラス大神がこれを聞いて驚いて言うには、
「私の弟が上って来るのは、きっと善良な心からでは無いでしょう。私の国を奪おうとしているのかもしれない」と言い、髪を解いてみづらに束ね、左右のみづらにもかづらにも、左右の手にも、それぞれ八尺の勾玉(やさかのまがたま)の五百箇の御統の珠(イホツノミスマルノタマ)を巻きつけ、背には千本の矢の入った靫(ゆき)を背負い、脇腹には五百本の矢の入った靫を着け、また肘(ひじ)には勇ましい高鞆(たかとも)を取り着け、弓の腹を振り立てて、力強く大庭を踏み、淡雪のように土を蹴散らかして、勢い良く叫びの声をあげて待ち「なぜ上って来たのか」と尋ねました。

そこでハヤスサノヲ命が答えて言うには、
「私に邪心はありません。ただ父イザナギ大御神が私が泣き喚く理由を問われたので、私は亡き母の国に行きたいと思って泣いている、と申し上げましたところ、父大御神は、それではこの国に住んではならないと言って私を追放なさったのです。だからその国に向かう事情を申し上げようと思って参りました。謀反の心はありません」と言いました。

そこでアマテラス大神が言うには、「ならばお前の心が正しいことはどうすればわかるのか?」と問いかけました。
これにハヤスサノヲ命が答えて「それぞれ誓(うけひ)をして子を生みましょう」と言った。

さて、そこで、二神は天の安河を挟んで、誓約をする時に、アマテラス大神がまず、タケハヤスサノヲ命の佩いている十拳剣(とつかのつるぎ)を譲り受け、三段に打ち折り、玉の緒を揺り鳴らしながら天の真名井(まない)の水で振りすすいで、噛みに噛んで砕き吹き出した息の霧から生まれた神の名は、多紀理媛(タキリビメ)の命、またの名は奥津島比売(オキツシマヒメ)命です。
次に市寸島比売(イチキシマヒメ)命、またの名は狭衣媛(サヨリビメ)命。
次に多岐都比売(タキツヒメ)命の三柱です。

次にハヤスサノヲ命が、アマテラス大神の左のみづらに巻いている八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を譲り受け、玉の緒を揺り鳴らしながら天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで砕き吹き出した息の霧から生まれた神の名は、正勝吾勝勝速日天の忍耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)命である。
また、右のみづらに巻いている玉を譲り受けて、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、天の菩卑(アメノホヒ)の命である。
また、かづらに巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、天津日子根(アマツヒコネ)命である。
また、左手に巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、活津日子根(イクツヒコネ)命である。
また、右手に巻いている玉を譲り受け、噛みに噛んで砕き、吹き出した息の霧から生まれた神の名は、熊野久須比(クマノクスビ)命である。合わせて五柱の男神が現れました。

そこでアマテラス大神が、ハヤスサノヲ命に言うには、「この後で生まれた五柱の男の子は、私の身に付けていた珠から生まれたので私の子です。先に生まれた三柱の媛御子は、お前の物から生まれたので、やはりお前の子です」と言いました。

さて、その先に生まれた神のタキリビメ命は、胸形(むなかた)の奥つ宮に坐します。
次にイチキシマヒメ命は、胸形の中つ宮に坐します。
次にタキツヒメ命は、胸形の辺(へ)つ宮に坐します。
この三柱の神は、宗像君等が大切に信仰している神です。

そして、後で生まれた五柱の子の中で、アメノホヒノ命の子の建比良鳥(タケヒラトリ)命、これは出雲国造、无耶志(むざし)国造、上菟上(かみつうなかみ)国造、下菟上国造、伊自牟(いじむ)国造、津島県直(つしまのあがたのあたえ)、遠江(ととうみ)国造等の祖神。
次にアマツヒコネ命は、凡川内(おおしこうち)国造、額田部湯坐(ぬかたべのゆえ)連、木国造、倭田中直、山代国造、馬来田(うまくた)国造、道尻岐閇(みちのしりきへ)国造、周芳(すは)国造、倭淹知(あむち)造、高市県主、蒲生稲寸(がもうのいなき)、三枝部(さきくさべ)造等の祖神です。


天岩戸(あまのいわと)

そこで、ハヤスサノヲ命が、アマテラス大神に言うには、「私の心が清らかだったので、私の生んだ子は媛御子でした。これによっていえば当然私の勝ちです」と言い、勝った勢いのままアマテラス大神の耕す田の畔を壊し、その溝を埋め、また、新穀を召し上がる御殿に屎を撒き散らした。
このようなことをしてもアマテラス大神がとがめずに言うには、「屎のようなものは酒に酔って吐き散らしのでしょう。また、田の畔を壊し溝を埋めたのは土地をもったいないと思ってそうしたのでしょう」と、良いように言い直したものの、なおその乱暴な仕業は止みません。

アマテラス大神が神聖な機織場で神様の衣を織らしていた時、その機屋の屋根に穴を開け、天の斑馬(あめのふちむま)の皮を逆さに剥ぎ取って落とし入れたので、天の機織女(あめのはたおりめ)が見て驚き、梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいました。
それでアマテラス大神もこれを恐れ、天の石屋戸を開けて中に隠れてしまいました。

そのため、高天原はまっ暗くなり葦原中国もこことごとく闇くなりました。
こうして永久に闇が続いていったのです。そして、様々な神の声が夏の蝿のように充満し、あらゆる禍いがすべて起こりました。

このようになったので、八百万の神が天の安河の川原に集まり、タカミムスヒ神の子の思金(オモヒカネ)の神に考えさせて、まず常世の長鳴鳥を集めて鳴かせました。

次に天の安河の川上にある天の堅い岩を取って来、天の金山の鉄を採り、鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売(イシコリドメ)命に命じて鏡を作らせて、王の祖(タマノオヤ)命に命じて八尺の勾玉の五百箇の御統の珠を作らせ、天の児屋(アメノコヤネ)命と布刀玉(フトダマ)命を呼んで、天の香山の雄鹿の肩の骨を抜き取り、天の香山の波々迦(ははか)の木を取って骨を焼いて占いをさせました。

天の香山のよく繁っている賢木(さかき)を根ごと掘り起こして、上の枝に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠を取り付け、中の枝に八咫鏡(やたのかがみ)を取りかけ、下の枝に白和幣(しらにきて)・青和幣(あをにきて)を垂れかけ、この種々の品は、フトダマ命が太御幣(ふとみてぐら)として奉げ持ち、アマノコヤネ命が神聖な祝詞を唱えて、天の手力男(アメノタヂカラヲ)神が脇に隠れて立ち、天の宇受売(アメノウズメ)命が天の香山の天の日影を襷(たすき)にかけ、真拆の蔓をカツラにして、天の香山の笹の葉を束ねて手に持ち、アマテラス大神がお隠れになった天の石屋戸にの前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りをして、胸乳をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げたので、タカアマノハラが鳴り響き、八百万の神が一斉に笑ったのです。


そこでアマテラス大神は不思議に思い、天の石屋戸を細めに開けて内から言うには、
「私が隠れているので高天原は自然と暗く、また葦原中国も全て闇であると思うのに、どうしてアメノウズメが舞い遊び、八百万の神が皆笑っているのかしら?」とおっしゃいました。

そこでアメノウズメが言うには、「あなた様にも勝って貴い神がいらっしゃるので、喜び笑って踊っています」と答えた。
そう答える間に、アメノコヤネ命とフトダマ命がその鏡を差し出し、アマテラス大神に見せる時、アマテラス大神はいよいよ不思議に思い、少し戸からでかかっているところを、隠れていたタヂカラヲ神が大神の手を取って外へ引きずり出しました。
すぐにフトダマ命が、注連縄(しめなわ)を大神の後ろに引き渡して、
「これより内側に入ることは出来ません」と申し上げたのです。
こうして、アマテラス大神が出てくると、高天原も葦原中国も自然と照って明るくなりました。

そこで八百万の神は共に相談し、スサノヲ命に罪を償わせるためにたくさんの品物を科し、また髭と手足の爪とを切ってタカマノハラから追放しました。


閑話休題・・・蚕と穀物の種

ハヤスサノヲ命は食物を大気都比売(オホゲツヒメ)の神に求めたことがあります。 そこでオホゲツヒメは、鼻や口、また尻から様々な美味な食物を取り出して、色々に調理して差しあげた時、ハヤスサノヲ命はその様子を覗いて見ていました。スサノヲ命は汚いことをして食べさせると怒り、すぐにそのオホゲツヒメ神を殺してしまいました。
そして、殺されたオホゲツヒメの神の身体から生まれ出た物は、頭に蚕が、二つの目に稲の種が生まれ、二つの耳に粟が生まれ、鼻に小豆が生まれ、陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれました。
そこで、神産巣日(カムムスヒ)御祖命(みおやのみこと)がこれらを取り、五穀の種としたのです。


八俣の大蛇

こうして追放されて出雲国の肥河(ひのかわ)の川上の鳥髪(とりかみ)という所に降り立ちました。

この時、箸がその川から流れ下りてきたのです。

そこでハヤスサノヲ命は、人が川上にいると思い尋ね上って行ってみると、老夫と老女の二人がいて、童女(をとめ)を中に置いて泣いていました。
そこで、「あなた方は誰ですか」と尋ねました。
その老夫が答えて言うには、
「私は国つ神の大山津見(オホヤマツミ)神の子です。私の名は足名椎(アシナヅチ)と言い、妻の名は手名椎(テナヅチ)と言い、娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)と言います」。
また、「あなたはどうして泣いているのですか」と尋ねると、答えて言うには、
「私の娘は元々八人いましたが、あの高志(こし)の八俣の大蛇(ヤマタノヲロチ)が年毎に襲ってきて食べてしまいました。今年もやって来る時期となったので、泣いているのです」
そこで、「どのような形をしているのか」と尋ねると、答えて言うには、
「その目は赤かがちのようで、身一つに八つの頭・八つの尾があります。また、その身には蘿(こけ)や檜や杉が生え、その長さは八つの谷・八つの峰にわたります。その腹を見れば、ことごとく常に血がにじんで爛れています」と言った。ここで赤かがちと言うのは、今の酸漿(ほほづき)のことである。

そこでハヤスサノヲ命がその老夫に言うには、「このあなたの娘を、私の妻に下さらないか」と言うと、「恐れ入りますが、貴方様のまだ名前を存じませんので」と答え、ました。
これに答えて言うには、「私はアマテラス大御神の弟です。そして、今天から降りてきたところです」と言いました。
そこでアシナヅチ神・テナヅチ神が言うには、「それならば恐れ多いことです。差し上げましょう」と言いました。
そこでハヤスサノヲ命は、その童女の姿を神聖な爪形の櫛に変えさせ、みづらに刺して、そのアシナヅチ神・テナヅチ神に言うには、「あなたたちは八塩折の酒(やしほをりのさけ)を造り、また垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの佐受岐(さずき)を作り、その佐受岐ごとに酒桶を置き、その酒桶ごとにその八塩折の酒を満たして待ちなさい」と言いました。

こうして、言われた通りに準備して待っている時、そのヤマタノヲロチが本当に言葉通りの姿でやって来た。
すぐに酒桶ごとに自分の頭を垂れ入れて、その酒を飲み出した。そこで飲んで酔ってその場に伏せて寝てしまいました。
そこでハヤスサノヲ命は、その身につけている十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、そのヲロチを切り刻むと、肥河が真赤な血となって流れました。
そして、命が中の尾を切り刻んだ時、剣の刃が欠けたのです。
そこで不思議に思い、剣先を刺して裂いて見ると、都牟羽の大刀(つむはのたち)がありました。
そこでこの太刀を取り、不思議な物だと思って、アマテラス大神に申し上げ奉った。
これが草那藝の大刀(くさなぎのたち)である。

さて、こうしてそのスサノヲ命は、宮を造る土地を出雲国に求めました。
そして須賀の地に到り、「私はここに来て、私の心はすがすがしい」と言って、そこに宮を造って住んだ。それでこの地を今、須賀と言う。

この大神が、初めて須賀宮を作った時に、そこから雲が立ち昇りましたので歌を作りました。
その詠んだ歌は、

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を 

盛んに立ち昇る雲が、八重の垣をめぐらしている。新妻を篭らせるために、八重垣をめぐらしている。あの素晴らしい八重垣よ。

そこでそのアシナヅチ神を呼び、「あなたを私の宮の首長に任じよう」と言い、また名を与えて、稲田の宮主須賀の八耳(イナダノミヤヌシスガノヤツミミ)神と名付けました。 

系譜

そこで、そのクシナダヒメと夫婦の交わりをして生んだ神の名は、八島士奴美(ヤシマジヌミ)神と言う。
また、オホヤマツミ神の娘、名は神大市比売(カムオホイチヒメ)を妻として生んだ子は、大年(オホトシ)神、次に宇迦の御魂(ウカノミタマ)。二柱。

この兄のヤシマジヌミ神が、オホヤマツミ神の娘、名は木の花知流比売(コノハナチルヒメ)を妻として生んだ子は、布波能母遅久奴須奴(フハノモヂクヌスヌ)神。
この神が、オカミ神の娘、名は日河比売(ヒカワヒメ)を妻として生んだ子は、深淵の水夜礼花(フカフチノミヅヤレハナ)神です。
この神が、天の都度閇知泥(アメノツドヘチヌ)神を妻として生んだ子は、淤美豆奴(オミヅヌ)の神。
この神が、布怒豆怒(フノヅヌ)神の娘、名は布帝耳(フテミミ)神を妻として生んだ子は、天の冬布(アメノフユキヌ)神である。
この神が、刺国大(サシクニオホ)神の娘、名は刺国若比売(サシクニワカヒメ)神を妻として生んだ子は、大国主(オホクニヌシ)である。またの名は大穴牟遅(オホナムヂ)神と言い、またの名は葦原色許男(アシハラシコヲ)神と言い、またの名は八千矛(ヤチホコ)神と言い、またの名は宇都志国玉(うつしくにたま)の神と言い、合わせて五つの名があります。


大国主の神

さて、このオホクニヌシ神の兄弟には八十神がいた。しかし皆、国をオホクニヌシ神にお譲りになった。譲った理由は次の通りである。

その八十神は皆、稲羽の八上比売(イナバノヤガミヒメ)を妻にしたいという気持ちがあり一緒に稲羽に出かけた時に、オホナムヂ神に袋を背負わせ、従者として連れて行きました。そして気多(けた)の岬に着いた時、丸裸の兎が倒れていたのです。
そこで八十神がその兎に、「お前の身を治すには、この海水を浴び、風の吹くのに当たって高い山の上で寝ておれ」と言いました。そこで、その兎は八十神の教えに従って伏せっていたのです。

すると、その海水が乾くにつれて、その身の皮はことごとく風に吹かれてひび割れてしまいましたそして痛み苦しんで泣き伏していると、最後にやって来たオホナムヂ神が、その兎を見て、「どうしてお前は泣いているのか」と言うと、兎が答えて「私は淤岐島(おきのしま)にいて、こちらの地に渡ろうと思いましたが、渡る方法が無かったので海の和邇(わに)を欺いて言い、“私とお前とで競って仲間の多い少ないを計ろう思う。そこで、お前はその仲間をいるだけ呼び集めて、この島から気多の岬まで皆一列に伏せって並びなさい。そこで私がその上を跳んで走りながら数えることにしよう。そうすれば私の仲間とどちらのが多いかを知ることができる”と、そのように言って、欺かれて並んで伏せった時、私がその上を跳んで数えながら渡って来て、いざ地面に下りようとする時に、私が、“お前は騙されたわけだ”と言って、言い終わろうとする瞬間、一番端に伏せっていた和邇が、私を捕らえて、すっかり私の衣服を剥いでしまったのです。そうして泣き病んでいると、先に通りがかった八十神が、『海水を浴び、風に当たって伏せておれ』と教えたのです。そこで、その通りにすると、私の身はすっかり傷だらけになってしまいました」と言いました

そこでオホナムヂ神がその兎に教えて言うには、「今すぐにこの水門に行き、真水でお前の身を洗い、すぐにその水門の蒲の花粉を取って撒き散らしてその上に寝転がれば、お前の身は元の肌のように戻るだろう」と言いました。

そこで、教えの通りにすると、その身は元通りになったのです。これが稲羽の素兎である。
今は兎神と言われている。

そこで、その兎がオホナムヂ神に言うには、「あの八十神は、きっとヤガミヒメを得ることはできないでしょう。袋を背負ってはいても、あなたが得ることでしょう」と申し上げた。

そこでヤガミヒメが、八十神に答えて言うには、「私はあなたたちの言うことは聞きません。オホナムヂ神に嫁ぎます」と言った。そこで八十神は怒って、オホナムヂ神を殺そうと思い、皆で相談して、伯岐国の手間の山の麓に来て言うには、「この山に赤い猪がいる。そこで、我々が一斉に追い下ろすので、お前は待ち受けて捕えよ。もし待ち受けて捕えなければ、必ずお前を殺すだろう」と言って、火で猪に似た大石を焼いて転がし落としました。

そこで追い下ろされたのを捕えようとしたとき、その石に焼かれて死んでしまった。それを知った母親の命は嘆き悲しんで高天原に上り、カムムスヒ命に救いを求めると、すぐにキサ貝比売(キサカイヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)とを遣わして、治療して生き返らせた。その時キサガヒヒメがきさげ集めて、ウムギヒメが待ち受けて、母の乳汁を塗ったところ立派な男となって出て歩けるようになりました。

そこで八十神はこれを見て、また欺こうとして山に連れ入り、大木を切り倒し、楔矢をその木に打ち立て、その割れ目の間に入らせるやいなや、その楔を引き抜いて打ち殺してしまった。そこでまた、母親の命が泣きながら探したところ、見つけることができ、すぐにその木を裂いて取り出して生き返らせ、その子に告げて言うには、「あなたはここにいたら、しまいには八十神によって滅ぼされてしまうだろう」と言い、すぐに木国の大屋比古(オホヤビコ)神の所へ避難させました。

そこで八十神が捜し追いかけて来て、矢をつがえて引き渡すように求めると、木の股をくぐり抜けさせて逃がし、「スサノヲ命のいる根の堅州国に向かえば必ずその大神が助けてくれるだろう」と言いました。

そこで、言われたようにスサノヲ命の所にやって来ると、その娘の須勢理比売(スセリビメ)が出てきてこれを見、互いに見つめ合って結婚し、引き返してその父に申し上げて言うには、「とても立派な神が来られました」と言いました。
そこで、その大神が出てきてこれを見て、「これはアシハラシコヲ命と言う神だ」と言い、すぐに呼び入れて、蛇のいる室(むろや)に寝させました。
そこでその妻のスセリビメ命は、蛇の比礼(ひれ)をその夫に授けて、「その蛇が食いつこうとしたら、その比礼を三度振って打ち払いなさいませ」と言いました。そこで、教えられた通りにすると、蛇は自然と鎮まり、こうして、安らかに寝て出ることができた。
また次の日の夜は、ムカデと蜂の室に入らせると、スセリヒメはまたムカデと蜂の比礼を授けて前と同じことを教えたので無事に出ることができました。

また、鳴鏑(なりかぶら)を広い野原の中に射込み、その矢を拾わせようとしました。そこで、その野原に入った時、すぐに火を放ってその野原を焼き囲み、出る所が分からずにいると、鼠が来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言いました。そう鼠が言うのでその場を踏んでみると、下に落ちて隠れることができた間に火は過ぎていき、その鼠がその鳴鏑を咥えて出て来て、彼にさしあげました。その矢の羽は、その鼠の子供が皆食いちぎっていました。

そこでその妻のスセリビメは、葬式の道具を持って泣きながらやって来て、その父の大神は、すでに死んだと思ってその野原に出で立ちました。
ところがその矢を持って差し出してきたので、屋敷に連れて入り、八田間の大室(やたまのおおむろや)に呼び入れて、その頭の虱(しらみ)を取るように命じた。そこでその頭を見ると、ムカデがたくさんいたのです。
そこでその妻は、椋(むく)の木の実と赤土(はに)とを取って、その夫に授けました。夫は、その木の実を噛み砕き、赤土を口に含んで唾を吐き出すと、大神は、ムカデを噛み砕いて唾を吐き出しているのだと思い、心の中でかわいい奴だと思って寝てしまいました。

そこでその神の髪を掴み、その室の垂木ごとに結び付けて、五百引の石をその室の戸にすえ塞ぎ、妻スセリビメを背負い、すぐにその大神の生大刀と生弓矢と、また天の詔琴を取り持って逃げ出そうとする時、その天の詔琴が樹に触れて、地が鳴動しました。それで、その眠っていた大神がこれを聞いて驚き、その室を引き倒してしまいましたが大神が垂木に結びつけた髪を解いている間に、遠くへ逃げることができました。

そして、黄泉津比良坂まで追いかけて来て、遥か遠くを望んでオホナムヂ神に呼びかけて、「そのお前が持っている生大刀と生弓矢で、お前の兄弟たちを坂のすそに追い伏せ、また川の瀬に追い払って、おぬしがオホクニヌシ神となり、またウツシクニタマ神となって、その私の娘スセリビメを本妻として、宇迦の山の麓に、底つ石根に、宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて(壮大な宮殿を建てて)住め。こやつめ」と言いました。
そこで、その太刀と弓を持って、その八十神を追い退ける時、坂のすそごとに追い伏せ、川の瀬ごとに追い払い、国を作り始めたのです。

さて、かのヤガミヒメは、先の約束通りに夫婦の契りを結んだ。そして、そのヤガミヒメは、連れて来られたのだが、その本妻のスセリビメを恐れて、その生んだ子を木の俣に刺し挟んで帰っていった。そこでその子を名付けて木の俣(キノマタ)神と言い、またの名を御井(ミヰ)神と言う。


閑話休題・・・八千矛神の歌物語

このヤチホコ神が、高志国の沼河比売(ヌナカワヒメ)を娶ろうとして出かけた時、そのヌナカワヒメの家に着いて、詠んだ歌は、

八千矛の神の命は、日本国中で思わしい妻を娶ることができなくて、遠い遠い越国に賢明な女性がいるとお聞きになって、美しい女性がいるとお聞きになって、求婚にしきりにお出かけになり、求婚に通い続けられ、太刀の緒もまだ解かずに、襲をもまだ脱がないうちに、少女の寝ている家の板戸を、押し揺さぶって立っておられると、しきりに引き揺さぶって立っておられると、青山ではもう鵺が鳴いた。野の雉はけたたましく鳴いている。庭の鶏は鳴いて夜明けを告げている。いまいましくも鳴く鳥どもだ。あの鳥どもを打ち叩いて鳴くのをやめさせてくれ、空を飛ぶ使いの鳥よ。――これを語り言としてお伝えします。

そこでそのヌナカワヒメは、まだ戸を開けずに、中から詠んだ歌は、

八千矛の神の命よ、私はなよやかな女のことですから、私の心は、浦州にいる水鳥のように、いつも夫を慕い求めています。ただ今は自分の意のままに振舞っていますが、やがてはあなたのお心のままになるでしょうから、鳥どもの命を殺さないで下さい、空を飛びかける使いの鳥よ。――これを語り言としてお伝えします。

青山の向こうに日が沈んだら、夜はきっと出て、あなたをお迎えしましょう。そのとき朝日が輝くように、明るい笑みを浮かべてあなたがおいでになり、白い私の胸や、雪のように白くて柔らかな若々しい胸を、愛撫したり絡み合ったりして、玉のように美しい私の手を手枕として、脚を長々と伸ばしてお休みになることでしょうから、あまりひどく恋焦がれなさいますな、八千矛の神の命よ。――これを語り言としてお伝えします。

そして、その夜は会わずに、翌日の夜に会いました。

また、その神の本妻のスセリビメ命が、とても嫉妬してしまったので、その夫の神は当惑して、出雲から倭国に上ろうとして身支度をして発とうとする時に、片手を馬の鞍にかけ、片足を鐙(あぶみ)に踏み入れて、詠んだ歌は、

黒い衣装を丁寧に着込んで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これは似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、今度はかわせみの羽のような青い衣装を丁寧に着込んで、沖の水鳥のように胸元を見る時、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これも似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、山畑に蒔いた蓼藍を臼で搗き、その染め草の汁で染めた藍色の衣を丁寧に着込んで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これはよく似合う。愛しい妻の君よ、群鳥が飛び立つように、私が大勢の供人に引かれて行ったならば、引かれてゆく鳥のように、私が大勢の供人に引かれていったならば、あなたは泣くまいと強がって言っても、山の裾に立つ一本のススキのようにうなだれて、あなたは泣くことだろう、そのあなたの嘆きは、朝の雨が霧となって立ち込めるように、嘆きの霧が立ち込めるであろうよ。愛しい妻の君よ。――これを語り言としてお伝えします。

そこでその妻、大御酒杯(おおみさかずき)を取って、そばに立ち寄り、杯を捧げて詠んだ歌は、

八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちになっているでしょう。それに引きかえ、私は女性の身ですから、あなた以外には男はありません。あなたの他に夫は無いのです。綾織の帳のふわふわと垂れている下で、カラムシの夜具の柔らかな下で、タクの夜具のざわざわと鳴る下で、沫雪のように白い若やかな胸を、タクの綱のように白い腕を、愛撫し絡ませ合って、私の美しい手を手枕として、脚を長々と伸ばしてお休みなさいませ。さあ御酒を召し上がりませ。

こう歌ってすぐに杯を交わして契りを固め、互いに首に手をかけ合い、今に至るまで鎮座しています。

これを神語(かむがたり)といいます。

系譜

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さて、このオホクニヌシ神が、胸形(むなかた)の奥つ宮に鎮座している神の、タキリビメ命を妻として生んだ子は、阿遅鋤高日子根(アヂスキタカヒコネ)神、次に妹の高比売(タカヒメ)命、またの名は下光比売(シタテルヒメ)命。
このアヂスキタカヒコネ神は今、迦毛(かも)の大御神と言われます。

オホクニヌシ神が、また、神屋楯比売(カムヤタテヒメ)命を妻として生んだ子は、事代主(コトシロヌシ)神。
また、ヤシマムヂノ神の娘、鳥取(トトリ)神を妻として生んだ子は、鳥鳴海(トリナルミ)神。
この神が、日名照額田比道男伊許知邇(ヒナテルヌカタビチヲイコチニ)神を妻として生んだ子は、国忍富(クニオシトミ)神。
この神が、葦那陀迦(アシナダカ)神、またの名は八河江比売(ヤガハエヒメ)を妻として生んだ子は、連甕の多気佐波夜遅奴美(ツラミカノタケサハヤヂヌミ)神。
この神が、天の甕主(アメノミカヌシ)神の娘、前玉比売(サキタマヒメ)を妻として生んだ子は、甕主日古(ミカヌシヒコ)神。
この神が、オカミ神の娘、比那良志比売(ヒナラシビメ)を妻として生んだ子は、多比理岐志麻流美(タヒリキシマルミ)神。
この神が、比々羅木の其花麻豆実(ヒヒラギノソノハナマヅミ)神の娘、活玉前玉比売(イクタマサキタマヒメ)神を妻として生んだ子は、美呂浪(ミロナミ)神。
この神が、シキヤマヌシ神の娘、青沼馬沼押比売(アヲヌウマヌオシヒメ)神を妻として生んだ子は、布忍富鳥鳴海(ヌノオシトミトリナルミ)神。
この神が、若尽女(ワカツクシメ)神を妻として生んだ子は、天の日腹大科度美(アメノヒバラオホシナドミ)神。
この神が、アメノサギリ神の娘、遠津待根(トホツマチネ)神を妻として生んだ子は、遠津山岬多良斯(トホツヤマサキタラシ)神。
以上のヤシマジヌミ神からトヨツヤマサキタラシ神までを、十七世の神という。

*****
さて、オホクニヌシ神が出雲の御大(みほ)の岬にいる時、波の彼方から天の羅摩船(かがみのふね)に乗って、鵝(ひむし)の皮を丸剥ぎに剥いで衣服として、寄って来る神がいました。
そこでその名を尋ねましたが答えません。
また、従えている諸々の神に尋ねても答えません。
そこで、たにぐく(ヒキガエル)が言うには、「これは久延比古(クエビコ)(かかし)がきっと知っているでしょう」と言うので、すぐにクエビコを呼んで尋ねると、「この神はカムムスヒ神の御子の少名比古那(スクナビコナ)神です」と言いました。

そこでこのことを、カムムスヒ御祖命に申し上げると、「これは確かに私の子です。子の中で私の指の間から漏れこぼれた子です。そこでお前は、アシハラシコヲ命と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と言いました。
こうして、それからオホナムヂとスクナビコナと二柱の神は協力して、この国を作り固めました。
そうした後、そのスクナビコナは常世国に渡った。
さて、そのスクナビコナ神の正体を教えたいわゆるクエビコは、今は山田の曾富騰(ヤマダノソホド)(雨に濡れる案山子)という。
この神は歩くことができないのに ことごとく天下のことを知っている神です。

さてそこでオホクニヌシ神が憂いて言うには、「私一人でどのようにしてこの国を作れるだろうか。どの神と私とでこの国を協力して作るのだろうか」と言いいました。
この時、海を照らして寄って来る神がいたのです。
その神が言うには、「私をよく祀ったら、私が共に協力して作りあげるだろう。もしそうでないならば、国を作ることはできない」と言いいました。
そこでオホクニヌシ神が、「それならばどのようにして祀ればよろしいでしょうか」と尋ねると、「私を倭の東の青々とした垣根のような山上に祀れ」と答えました。
これが御諸山(三輪山)の上に鎮座している神(大物主)です。

さて、かの大年(オホトシ)神(穀物の実りの神)が、神活須比(カムイクスビ)神の娘、伊怒比売(イノヒメ)を妻として生んだ子は、大国御魂(オホクニミタマ)神、次に韓(カラ)の神、次に曾富理(ソホリ)神、次に白日(シラヒ)神、次に聖(ヒジリ)神である。五神。
また、香用比売(カヨヒメ)を妻として生んだ子は、大香山戸臣(オホカグヤマトミ)神、次に御年(ミトシ)神である。二柱。
また、天知迦流美豆比売(アメノチカルミヅヒメ)を妻として生んだ子は、奥津日子(オキツヒコ)神、次に奥津比売(オキツヒメ)命、またの名は大戸比売(オホヘヒメ)神である。この神は人々が信仰している竈(かまど)の神である。
次に大山咋(オホヤマクヒ)神、またの名を山末の大主(ヤマスヱノオホヌシ)神であり、この神は近つ淡海国の日枝山(ひえのやま)に鎮座し、また葛野(かづの)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とする神である。
次に庭津日(ニハツヒ)神、次に阿須波(アスハ)神、次に波比岐(ハヒキ)神、次に香山戸臣(カグヤマトミ)神、次に羽山戸(ハヤマト)神、次に庭の高津日(ニハタカツヒ)神、次に大土(オホツチ)神、またの名は土の御祖神(ツチノミオヤのカミ)である。九神。
以上、大年の神の子の大国御魂の神から大土の神まで合わせて十六神です。

さて、羽山戸の神がオオゲツヒメの神と結婚して生んだのは若山咋(ワカヤマクヒ)の神、次に若年の神、女神の若沙那売(ワカサナメ)の神、次に弥豆麻岐(ミズマキ)神、次に夏の高津日(ナツタカツヒ)神、またの名は夏の売(ナツノメ)の神、次に秋比売(アキビメ)の神、次に久久年(ククト)神、次に久久紀若室葛根(ククキワカムロツナネ)神。以上若山咋の神から若室葛根の神まで八神です。


国譲り

アマテラス大御神は命令によって、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、私の子の正勝吾勝勝速日天の忍穂耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)の命が治めるべき国である」とし、天降りさせました。
そこでアメノオシホミミ命が、天の浮橋に立って、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、大変騒がしい状態だ」と言い、また帰り上ってアマテラス大神に指図を仰いだのです。
そこで、タカミムスヒ神とアマテラス大御神の命令によって、天の安河の河原に八百万の神を集めるだけ集めて、オモヒカネ神に考えさせて「この葦原中国は、私の子の治めるべき国と委任した国である。しかし、この国には暴威を振るう乱暴な国つ神どもが大勢いると思われる。そこで、どの神を遣わして服従させたらよいだろうか」と尋ねました。
そこで、オモヒカネ神や八百万の神が相談して、「天の菩比(アメノホヒ)神を遣わすべきでしょう」と答えました。
そこで、アメノホヒ神を遣わしたところ、なんとオホクニヌシ神に媚びへつらい、三年経っても復命しなかったのです。

そのため、タカミムスヒ神とアマテラス大御神が、また大勢の神々に、「葦原中国に遣わしたアメノホヒ神は、長いこと復命しなかった。今度はどの神を遣わしたらよいだろうか」と尋ねました。
そこでオモヒカネ神が、「天津国玉(アマツクニタマ)神の子、天若日子(アメノワカヒコ)を遣わすべきでしょう」と答えて言いました。
そこで天の麻迦古弓、天の波々矢をアメノワカヒコに与えて遣わしたのです。
ところがアメノワカヒコは、その国に降り着くやいなや、オホクニヌシ神の娘、シタテルヒメを妻とし、また、その国を得ようと企んで、八年経っても復命しませんでした。

そこで、アマテラス大御神とタカミムスヒ神が、また大勢の神々に言うには、「アメノワカヒコも、長いこと復命しなかった。今度はどの神を遣わして、アメノワカヒコが長く留まっている理由を尋ねようか」と尋ねました。
そこで大勢の神々とオモヒカネ神が、「雉(きぎし)の、名は鳴女(ナキメ)を遣わすべきでしょう」と答え、「お前が行って、アメノワカヒコに尋ねる事は、『お前を葦原中国に遣わせた理由は、その国の乱暴な神々を服従させて従えることである。どういうわけで八年経っても復命しないのか』と尋ねよ」命令しました。

そこで、鳴女は天から降り着くと、アメノワカヒコの家の門の神聖な桂樹の上にとまり、完璧に天つ神の命令通りに伝えました。
その時、天の佐具売(アメノサグメ)が、この鳥の言うことを聞いて、アメノワカヒコに「この鳥は、その鳴く声が非常に不吉である。だから、射て殺すべきだ」と言い勧めたのです。
すぐにアメノワカヒコは、天つ神から与えられた天の波士弓と天の加久矢を取って、その雉を射て殺しました。
ところがその矢は、雉の胸を貫いて、逆さまに射上げられて、天の安河の河原におられるアマテラス大御神と高木神の所にまで達しました。このタカギ神は、タカミムスヒ神のまたの名です。

そこで、タカギ神がその矢を取って見てみると、血がその矢の羽に付いていました。
そこでタカギ神は、すぐに大勢の神々に示して「この矢はアメノワカヒコに与えた矢である」と言い、「もしアメノワカヒコが命令に背かず、悪い神を射た矢が来たのならば、アメノワカヒコに当たるな。もし邪心があるのならば、アメノワカヒコはこの矢に当たって禍(まが)を受けよ」と言って、その矢を取って、その矢が飛んで来た穴から下に向けて突き返すと、アメノワカヒコが朝の床で寝ており、その胸に命中して死んでしまいました。
これが還矢の起こりです。また、その雉は帰って来なかった。そこで、今でも諺(ことわざ)に、雉の頓使(行ったっきりの使い)と言いますが、その起こりです。

さて、アメノワカヒコの妻、シタテルヒメの泣く声が、風の吹くと共に響いて天に届きました。
そして天にいるアメノワカヒコの父、アマツクニタマ神とその妻子が聞いて、降って来て泣き悲しみ、すぐにそこに喪屋を作り、川雁(かはがり)を死者の食物を淹れた器を持って行く役とし、鷺(さぎ)を箒で穢れをはらう役とし、翡翠(かわせみ)を料理役とし、雀を碓をつく女とし、雉(きぎし)を哭女(なきめ)とし、このように役目を定めて、八日八夜にわたって歌舞を行いました。

この時、阿遅志貴高日子根(アヂシキタカヒコネ)神がやって来て、アメノワカヒコの喪を弔っておりましたら、アメノワカヒコの父、またその妻がみな泣いて、「私の子は死ななかった。私の夫は死なずに生きていた」と言って、彼の手足に取りすがって泣きました。
このように間違えたわけは、この二柱の神の容姿が、とてもよく似ていたので、このように間違えてしまったのです。

そこでアヂシキタカヒコネ神がひどく怒って、「私は親しい友であったからこそ弔いに来たのだ。どうして私を穢らわしい死人に見立てるのか」と言って、身につけていた十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その喪屋を切り伏せ、足で蹴り飛ばしてしまいました。
これが美濃国の藍見河の川上にある喪山です。
また、その切り伏せた太刀の名は、大量(おおはかり)と言い、またの名を神度剣(かむどのつるぎ)と言います。
そして、アヂシキタカヒコネ神が怒って飛び去った時、その同母妹のタカヒメ命は、その御名を明かそうと思い、そこで詠んだ歌は、

天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉(あなだま)はや み谷 二(ふた)渡らす 阿治志貴 高日子根の神そ

天上にいるうら若い機織女が、首にかけている緒に貫き通した玉、その緒に通した穴玉の輝かしさよ、そのように谷二つを越えて輝きわたる神は、アヂシキタカヒコネの神です。

この歌は夷振(ひなぶり)です。

そこでアマテラス大御神が「今度はどの神を遣わすのがよいだろうか」と尋ねた。
オモヒカネ神と大勢の神々が「天の安河の川上の天の石屋におられる、名は伊都の尾羽張(イツノヲハバリ)神を遣わすべきでしょう。もしまた、この神で無いとするならば、その神の子の建御雷の男(タケミカヅチノヲ)神を遣わすべきでしょう。またそのアメノヲハバリ神は、天の安河の水を逆に塞き止めて、道を塞いでいますので、他の神は行くことができません。そこで、特別に天の迦久(アメノカク)神を遣わして尋ねさせるべきでしょう」と言いました。
そこでアメノカク神を遣わして、アメノヲハバリ神に尋ねた時、答えて言うには、「畏まりました。お仕えいたしましょう。ただし、この任務には、私の子のタケミカヅチ神を遣わすべきでしょう」と言って、すぐに差し上げました。
そこでアメノトリフネ神をタケミカヅチ神に副えて遣わすことにしたのです。

そのようなわけで、この二神は、出雲国の伊耶佐の小浜に降り着くと、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜き、逆さまに波の上に刺し立て、その剣の切先にあぐらをかいて座り、そのオホクニヌシ神に尋ねて言うには、「アマテラス大御神とタカギ神の命令によって、尋ねに遣わされてやって来た。お前が支配している葦原中国は、『我が御子が治める国である』と委任なされている。それについて、お前の心はどうか」。
そこで答えて言うには、「私はお答えできません。私の子の八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)神が答えるでしょう。しかし、狩りや漁をしに、御大(みほ)の岬に出かけてまだ帰って来ておりません」と言った。そこでアメノトリフネ神を遣わし、ヤヘコトシロヌシ神を呼んで来て、尋ねると、その父の大神に語って言うには、「畏まりました。この国は天つ神の御子に奉りましょう」と言って、すぐにその船を踏み傾け、天の逆手を打って青柴垣に変えて隠れてしまいました。

さて、そこでそのオホクニヌシ神に「今お前の子のコトシロヌシ神は、このように申した。他に意見を言うような子はいるか」と尋ねた。
そこでまた答えるには、「また私の子の建御名方(タケミナカタ)がいます。それをおいて他にはおりません」と、そう言う間に、そのタケミナカタ神が、千引の石を手の先に持ってやって来て、
「誰が私の国に来て、ひそひそとそのように話をしているのか。それならば力競べをしようではないか。では、私がまずその手を掴んでやろう」。その手を掴ませると、すぐに氷柱(つらら)のようになり、また剣の刃になりました。そこでタケミナカタ神はこれを見て恐れて退いてしまいました。

今後はタケミナカタ神の手を逆に求めて掴むと、葦の若葉を摘むように、握りつぶして放り投げると、タケミナカタ神はすぐに逃げ去ってしまったので追いかけて行って信濃の諏訪の湖に追い詰めて、殺そうとする時、タケミナカタ神は「畏まりました。私を殺さないで下さい。この地以外にどこにも行きません。また私の父オホクニヌシ神の命令にも背きません。ヤヘコトシロヌシ神の言葉にも背きません。この葦原中国は、天つ神の御子の命令のままに差し上げましょう」と言いました。

そこで、更にまた帰ってきて、そのオホクニヌシ神に言うには、「お前の子供のコトシロヌシ神、タケミナカタ神の二神は、天つ神の御子の命令のままに背かないと言った。それについて、お前の心はどうか」と尋ねたのです。
そこで答えて言うには、
「私の子の二神の言う通りに私も背きません。この葦原中国は、命令のままに差し上げましょう。ただ私の住む所は、天つ神の御子が天つ日継知らしめす壮大な天の宮殿のように、底つ石根に、柱を太く立てて大空に棟木を高く上げて造営するならば、私はずっとひっこんだ隅に隠れていましょう。また私の子どもの百八十神は、ヤヘコトシロヌシ神が、神々の前に立ち後に立って仕えるのならば、背く神はいないでしょう」と言って、出雲国の多芸志の小浜(たぎしのをばま)に天の御舎(みあらか)を造り、水戸の神の孫の櫛八玉(クシヤタマ)神が料理人となって天の神饌を献上する時、祝いの言葉を述べて、クシヤタマ神が鵜(う)になって海の底に潜り、底の赤土(はに)を咥え出て、たくさんの神聖な皿を作り、海布(め)の茎を刈って燧臼(ひきりうす)に作り、海蓴(こも)の茎で燧杵(ひきりきね)に作って、火を鑽り出して言うには、この私がつくり出した火は、高天原でカムムスヒの御祖神の立派な新しい御殿の煤が、長々と垂れ下がるまで焚き上げ、地の下は、地底の磐石に届くまで焚き固まらせて、千尋の長い栲縄を海中に延ばして、海人の釣る口が大きく尾ひれの大きな鱸を、さわさわと賑やかに引き寄せ上げて、たわむほどに、魚の料理を献ります。」


そこで、タケミカヅチ神は帰り上って、葦原中国を服従させ平定した状況を報告しました。

天孫降臨

アマテラス大御神とタカギ神の命令によって、太子(ひつぎのみこ)であるマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ命に言うには、「今、葦原中国を平定し終えたと言ってきたので、委任した通りに、降って治めなさい」と言った。
そこで、その太子のマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ命が答えて言うには、「私は降ろうと支度をしている間に、子が生まれました。名は天邇岐志国邇岐志天津日子番の邇邇芸(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ)命、この子を降すべきでしょう」と言った。
この子は、タカギ神の娘、万幡豊秋津師比売(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)命と結婚して生んだ子で、天の火明(アメノホアカリ)命、次に日子番の邇邇芸(ヒコホノニニギ)命の二柱である。
そのようなわけで、ヒコホノニニギ命に命じて、「この豊葦原水穂国は、お前が治める国であると委任します。そこで、命令に従って天降りなさい」と言った。

そこでヒコホノニニギ命が、天降りをしようとする時に、天の八衢(やちまた)にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がここにいた。
そこで、アマテラス大御神とタカギ神はアメノウズメ神に「お前はか弱い女であるが、向き合った神に気後れせずに勝つ神である。そこで、お前一人で行って尋ねて、『私の御子の天降りする道に、そのように居るのは誰か』と尋ねなさい」と命令した。
そこで、尋ねる時に彼が答えて言うには、「私は国つ神で、名は猿田比古(サルタビコ)神である。出て居るのは、天つ神の御子が天降りすると聞いたので、先導役に仕えようと思い、迎えに参りました」と言った。

そこでアメノコヤネ命、フトダマ命、アメノウズメ命、イシコリドメ命、タマノオヤ命の合わせて五伴緒(いつとものを)を従えさせて、天降りをした。
そこであの八尺の勾玉、鏡、また草那藝の剣、また常世のオモヒカネ神、タヂカラヲ神、アメノイハトワケ神を副えて、言うには、「この鏡はひたすらに私の御魂として、私を拝むように敬い祀りなさい。次にオモヒカネ神は、私の祭祀を取り扱って政(まつりごと)をしなさい」と言った。

この二柱の神は、拆く釧(さくくしろ)(口の割れた腕輪)五十鈴(いすず)の宮(伊勢神宮内宮)に祀ってある。
次に登由宇気(トユウケ)、これは外宮の度相(わたらひ)に鎮座する神である。
次に天の石戸別(アメノイハトワケ)神、またの名は櫛石窓(クシイハマト)神と言い、またの名は豊石窓(トヨイハマト)神と言う。この神は御門の神である。
次にタヂカラヲ神は佐那那県(さなながた)に鎮座している。
そして、そのアメノコヤネ命は、中臣連等の祖神である。
フトダマ命は、忌部首等の祖神である。
アメノウズメ命は、猿女君等の祖神である。
イシコリドメ命は、作鏡連等の祖神である。
タマノオヤ命は、玉祖連等の祖神である。

さてそこで、アマツヒコホノニニギ命、天の石位(あめのいはくら)を離れ、天の幾重にもたなびく雲を押し分けて、神威をもってかき分けかき分けて、天の浮橋から渡って浮島に立ち、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。
そこで天の忍日(アメノオシヒ)命、天つ久米(アマツクメ)命の二人が、天の石靫(あめのいはゆき)を背負い、頭椎の大刀(くぶつちのたち)を腰につけ、天の波士弓を取り持ち、天の真鹿児矢を挟み持ち、先導役として仕えた。
さて、そのアメノオシヒ命、これは大伴連等の祖神である。アマツクメ命、これは久米直等の祖神である。

そこで言うには、「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙の御前(かささのみさき)に真来通りて、朝日のまっすぐに射す国、夕日のよく照る国である。なので、ここはとても良い土地である」と言って、底つ石根に、宮柱ふとしり、高天原に氷椽たかしりて住むことにした。

さてそこで、アメノウズメ命に「この先導に立って仕えたサルタビコ大神は、一人でその正体を明らかにして報告したお前が送りなさい。またその神の名は、お前が負って仕えなさい」と言った。
そういうわけで、猿女君等は、そのサルタビコノヲ神の名を負って、女を猿女君と呼ぶことになりました。

さてそのサルタビコ神が、阿耶訶(あざか)にいる時に漁をして、比良夫貝にその手を挟まれて、海水に沈んで溺れてしまいました。そこでその底に沈んでいる時の名は、底どく御魂(ソコドクミタマ)と言い、その海水が泡粒となって立ち上る時の名は、つぶだつ御魂と言い、その泡が裂ける時の名は、沫咲く御魂と言う。

そこでサルタビコ神を送って帰ってきて、すぐにあらゆる鰭の広物、鰭の狭物を追い集めて、尋ねて、「お前は天つ神の御子にお仕えするか」と言った時、多くの魚が皆、「お仕えします」と答える中に、海鼠(こ)だけが答えなかった。そこでアメノウズメが海鼠に言うには、「この口は答えない口か」と言って、紐のついた小刀でその口を裂いてしまった。そのため、今でも海鼠の口は裂けているのである。
こういうわけで、御代ごとに島の速贄(はやにへ)を献上する時、猿女君等に分け与えるのである


木の花佐久夜比売

アマツヒコヒコホノニニギ命は、笠沙の御前で美しい少女に会った。
そこで、「誰の娘か」と尋ねると、答えて言うには、「オホヤマツミ神の娘、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名を木の花佐久夜比売(コノハナノサクヤビメ)と言います」と言った。
また、「あなたに兄弟はいますか」と尋ねると、「私の姉に、石長比売(イハナガヒメ)がいます」と答えた。
そこで、「私はあなたと結婚したいと思うがどうか」と尋ねると、「私は答えられません。私の父のオホヤマツミ神が答えるでしょう」と答えた。
そこで、その父オホヤマツミ神に尋ねるために遣いを出すと、大変喜んで、その姉のイハナガヒメを副えて、百取の机代の物(ももとりのつくゑしろのもの)を持たせて、差し出した。
ところが、その姉はとても醜かったので、見て恐れて送り返し、ただその妹のコノハナノサクヤビメだけを留めて、一夜婚をした。

そこでオホヤマツミ神が、イハナガヒメを返したことによって深く恥じ入り、申し送って言うには、
「私の娘二人を並べて差し上げたのは、イハナガヒメを使うならば、天つ神の御子の命は、雪が降り風が吹いても、常に岩のように永遠に変わらず揺るぎなくいられるでしょう。またコノハナノサクヤビメを使うならば、木の花が咲き乱れるように栄えるでしょうと、宇気比をして奉ったのです。このようにイハナガヒメを返し、一人コノハナノサクヤビメだけを留めてしまったので、天つ神の御子の寿命は、木の花のようにはかなくなるでしょう」と言いました。

このようなわけで、今に至るまで天皇方の御寿命は長くないのです。

さて、後にコノハナノサクヤビメがやって来て言うには、「私は身篭り、今産む時期になりました。この天つ神の御子は、私事として産むべきではありません。そこで申し上げます」と言った。
そこで言うには、「サクヤビメは一夜で身篭ったのか。これは私の子ではあるまい。きっと国つ神の子である」と言った。
そこで答えて言うには、「私の身篭った子が、もし国つ神の子であるならば、産む時に無事ではないでしょう。もし天つ神の御子であるならば、無事でしょう」と言って、すぐに戸の無い広い御殿を作って、その御殿の中に入り、土で塗り塞いで、産む時になって、火をその御殿につけて産んだ。
そこで、その火が盛んに燃える時に生んだ子の名は、火照(ホデリ)命、これは隼人阿多君の祖神である。
次に生んだ子の名は、火須勢理(ホスセリ)命である。
次に生んだ子の名は、火遠理(ホヲリ)命。またの名は天津日高日子穂穂出見(アマツヒコヒコホホデミ)命である。三柱。


日子穂穂出見命

さて、ホデリ命は海佐知比古(ウミサチビコ)として、鰭の広物、鰭の狭物を取り、ホヲリ命は山佐知比古(ヤマサチビコ)として、毛の麁物、毛の柔物を取っていた。
そこでホヲリ命がその兄のホデリ命に、「それぞれのさちを取り換えて使ってみよう」と言って、三度求めたけれど許さなかった。しかし遂にわずかな間だけ取り換えることができた。
そこでホヲリ命は、海さちを使って魚を釣ろうとしたが、ただ一匹の魚も得られず、またその鉤(ち)を海に失ってしまった。
そこでその兄のホデリ命が、その鉤を求めて言うには、「山さちも己がさちさち、海さちも己がさちさち。今はそれぞれさちを返そう」と言った時に、その弟のホヲリ命が、答えて言うには、「あなたの鉤は、魚を釣ろうとしたが一匹の魚も得られず、遂に海に無くしてしまいました」と言った。
しかしその兄は無理に求めて責め立てた。
そこで、その弟は、腰につけていた十拳剣を砕き、五百の鉤を作って償おうとしたが受け取らなかった。また一千の鉤を作って償おうとしたが受け取らず、「やはり元の鉤を返せ」と言った。

そこでその弟が泣き悲しんで海辺にいる時に、塩壌(シホツチ)神が来て尋ねて言うには、「ソラツヒコ(日子穂穂出見命のこと)が泣き悲しんでいるのはどうしてですか」と言うと、答えて言うには、「私と兄とで鉤を取り換えて、その鉤を無くしてしまいました。そしてその鉤を求められたので、多くの鉤で償おうとしても受け取らず、『やはりその元の鉤を返せ』と言うので、泣き悲しんでいるのです」と言った。

そこでシホツチ神は、「私が、あなた様のために善い計画を立てましょう」と言って、すぐに密に編んだ竹籠の小船を造り、その船に乗せて教えて言うには、「私が、その船を押し流したら、しばらくそのまま進んでください。良い潮路があるでしょう。そこでその流れに乗って進んでいくと、魚の鱗のように造られた宮殿があり、それがワタツミ神の宮殿です。その神の門に着いたら、傍の井戸の上に神聖な桂があります。そこで、その木の上にいれば、その海神(わたつみのかみ)の娘が見て取り計らってくれるでしょう」と言った。

そこで、教えられた通りに少し進むと、全てその言葉の通りであったので、すぐにその香木に登って待った。
そして海神の娘の豊玉比売(トヨタマビメ)の侍女が、玉器(たまもひ)(水を入れる美しい器)を持って水を汲もうとする時、井戸に光が射していた。仰ぎ見ると立派な男子がいたので、とても不思議に思った。そこでホヲリ命はその侍女を見て、水を欲しいと求めた。侍女はすぐに水を汲み、玉器に入れて差し上げた。ところが水を飲まずに、首にかけた玉の緒を解いて、口に含んでその玉器に吐き入れた。するとその玉が器にくっついて、侍女は玉を離すことができなかった。そこで、玉をつけたままにしてトヨタマビメ命に差し上げた。

そこでその玉を見て、侍女に尋ねて言うには、「もしかして人が、門の外にいるのですか」と言うと、答えて言うには、「私たちの井戸の上の香木の上に人がおります。とても立派な男子です。私たちの王にもましてとても貴い方です。そして、その方が水を求めたので、水を差し上げたら、水を飲まずに、この玉を吐き入れました。これを離すことができませんので、入れたまま持って来て差し上げたのです」と言った。

そこでトヨタマビメ命が不思議に思い、出て見ると、すぐに一目惚れしてその父に言うには、「私たちの門に立派な方がいます」と言った。
そこで海神自らが出て見て、「この方はアマツヒコの御子、ソラツヒコである」と言って、すぐに中に連れて入って、アシカの皮の畳を八重に敷き、またその上に絹の畳を八重に敷いて、その上に座らせて、百取の机代の物(ももとりのつくゑしろのもの)を供え御馳走して、すぐにその娘トヨタマビメと結婚させた。
こうして、三年に至るまでその国に住んだ。

そこでホヲリ命は、その初めの事を思い出して、深い溜め息をついた。
そこでトヨタマビメ命がその溜め息を聞いて、その父に言うには、「三年も住んでいますが、普段は溜め息をつくことも無いのに、今夜深い溜め息をつかれました。もしや何か理由があるのでしょうか」と言った。
そこでその父の大神が、その婿に尋ねて言うには、「今朝私の娘の語ることを聞けば、『三年もいるけれど、普段は溜め息をつくことも無いのに、今夜深い溜め息をつかれました』と言っていた。もしや理由があるのでしょうか。またここにやって来たのはなぜでしょうか」と言った。
そこでその大神に、詳しくその兄が失った鉤を責め立てた様子を語った。

これを聞いた海神は、あらゆる海の大小の魚を呼び集めて、尋ねて言うには、「もしやその鉤を取った魚はいるか」。
そこで、多くの魚どもが、「近頃赤鯛が、喉に骨が刺さって物が食べられないと困って言っています。なので、きっとこれが取ったのでしょう」と言いました。
そこで赤鯛の喉を探すと鉤があったのですぐに取り出して清め洗い、ホヲリ命に差し出す時に、そのワタツミ大神が教えて、
「この鉤をその兄に返す時、言う言葉は、『この鉤は、おぼ鉤、すす鉤、貧鉤、うる鉤』と言って、手を後ろに回して渡しなさい。そうして、その兄が高い土地に田を作ったら、あなた様は低い土地に田を作りなさい。その兄が低い土地に田を作ったら、あなた様は高い土地に田を作りなさい。そうしたならば、私が水を掌っているので、三年間は必ずその兄は貧しく苦しむでしょう。もしそうした事を恨んで攻めて来たら、塩盈珠(しほみつたま)を出して溺れさせ、もし苦しんで許しを請うならば、塩乾珠(しほふるたま)を出して命を助け、このようにして悩まし苦しめなさい」と言って、塩盈珠と塩乾珠の合わせて二つを授け、すぐにあらゆる和邇魚(わに)どもを呼び集めて尋ねて、「今、アマツヒコの御子、ソラツヒコが、上の国に出かけようとしている。誰が幾日で送り差し上げて復命するか」と言いました。

そこで、それぞれ自分の身の丈のままに、日数を定めて答える中で、一尋(ひとひろ)の和邇が言うには、「私は一日で送ってすぐに帰って来ます」と言った。
そこで、その一尋の和邇に、「それならばお前が送って差し上げなさい。ただし海の中を渡る時に、恐ろしい思いをさせてはならないぞ」と言って、すぐにその和邇の首に乗せて送り出しました。
そして、約束通りに一日のうちに送って差し上げた。
その和邇を返そうとする時、腰につけていた紐のついた小刀を解いて、その首に付けて返した。そこで、その一尋の和邇は、佐比持(サヒモチ)神と言う。

こういうわけで、全て海神に教えられた言葉の通りにして、その鉤を渡した。
そのため、それより以後は次第に貧しくなって、更に荒々しい心を起こして攻めて来た。
そして、攻めようとする時には、塩盈珠を出して溺れさせ、それを苦しんで許しを請えば、塩乾珠を出して救い、こうして悩まし苦しめた時に、頭を下げて言うには、「私はこれから後は、あなた様の昼夜の守り人となって仕えましょう」と言った。
それで、今に至るまで、その溺れたときの様々な仕種を、絶えず演じて仕えているのである(隼人の舞)。


豊玉比売

さて、海神の娘のトヨタマビメ命が、自らやって来て言うには、「私はすでに身篭っており、今産む時期になりました。これを思うに、天つ神の御子は海原に生むべきではありません。そこで、やって来ました」と言った。
そこですぐにその海辺の渚に、鵜の羽を葺草として産屋を造った。ところがその産屋をまだ葺き終わらないうちに、陣痛が迫って耐えられなくなった。そこで、産屋に入った。
そこでまさに産もうとする時に、その夫に言うには、「全て異国の人は産む時になると、本の国の姿になって産みます。そこで、私も今、本の姿になって産みます。お願いですから私を見ないで下さい」と言った。

そこでその言葉を不思議に思って、そのまさに産もうとする様子を密かに覗くと、八尋の和邇に化して這い身をくねらせていた。そこで一目見て驚き恐れ、逃げ出してしまった。
そこでトヨタマビメ命が、その覗き見た事を知って、心に恥ずかしいと思って、その御子を生み置いて言うには、「私は常に海の道を通って、往き来しようと思っていました。しかし私の姿を覗き見てしまったのは、これはとても恥ずかしいことです」と言って、すぐに海坂(うなさか)を塞いで帰ってしまった。
こういうわけで、その産んだ御子を名付けて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズ)命と言う。

しかしながらその後、その覗き見た心を恨んだけれども、恋しい心に耐えられなくなって、その御子を養育するという理由で、その妹の玉依比売(タマヨリビメ)を遣わして歌を差し上げた。その詠んだ歌は、

赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装ひ 貴くありけり

赤い玉は、それを貫いた緒までも光るほどに美しいものですが、それにもまして、白玉のようなあなた様のお姿が、気高く立派に思われることです。

そこでその夫が答えて詠んだ歌は、

沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに

鴨の寄り着く島で、私が共寝をした愛しい妻のことは、いつまでも忘れないであろう、私の生きている限り。

そして、ヒコホホデミ命は、高千穂宮で五百八十年過ごした。御陵は、その高千穂の山の西にあります。

このアマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアヘズ命は、その叔母のタマヨリビメ命を妻として、生んだ御子の名は、五瀬(イツセ)命、次に稲冰(イナヒ)命、次に御毛沼(ミケヌ)命、次に若御毛沼(ワカミケヌ)命、またの名を豊御毛沼(トヨミケヌ)命、またの名を神倭伊波礼比古(カムヤマトイハレビコ)神武天皇)である。四柱
そして、ミケヌ命は、波の上を越えて常世国に渡り、イナヒ命は、亡き母のいる国として海原に入った。